阪神大震災〜16年前のこと〜16年後に見た悪夢〜「死にたくない!」

号外


今日早朝、寝汗をかき目覚めた。午前4時10分。
昨夜、明日は16年目だと思い、
当時のことをあれこれ思い浮かべで寝たために、悪夢を見た。
家具の下敷きになりうめいている自分に気づき、
はっとして目覚めたのである。
阪神大震災の亡霊が出たのである。
被災体験は〜


1995年1月17日午前5時46分頃。
暗闇の中、凄い地鳴り、突き上げられる激震、
布団から舞い上がるカラダ、悲鳴、ガラス類が叩き割れる音、
棚が倒れる音など、悪夢そのもの。


悲鳴が聞こえた部屋に行くと、
倒れた棚の下の隙間に娘がいた。
全身ガタガタと恐怖に震えあがっている娘を抱きかかえ、居間に移動。

第一波、第二波の激震がおさまり、直後に窓から外を眺めると、
いつもは目に入る阪神高速道路や街の灯の灯りもなく、
一瞬不思議な静寂が漂っていた。
一体何が起こったのか、あまりの衝撃の強さに考えることもできず、
放心状態が続いていた。


空を見上げると、暗黒の空間に不気味な赤い雲のような一筋の光が、
神戸の空から大阪の空へと一直線に〜。


芦屋、神戸方面を見ると、暗闇に包まれた住宅街から燃え上がる炎、
まるで、あちこちで焚き火しているような光景。
この時、何が起こったのかを悟ることができた。
夜が明けて、廃墟のような室内を茫然と眺めていた。


その朝、外へ出ると、道路は亀裂とうねり、
古い民家は屋根が柱や壁の下になり崩壊。
毛布に包まれた遺体。


道路に近くのお婆さんが立ちすくんでいた。
「どうしたのですか?」
「お爺さんが下敷きになっている!」


直ぐに息子と隣の大学生を連れて、お婆さんの家に直行。
大きな洋服ダンスが倒れており、少しの隙間があった。


「大丈夫ですか!!」「はい〜」とか弱い返事。
三人で一気に倒れたタンスを立ち上げた。
お爺さんを引き出す。奇跡的に無事だった。


この時、不思議な体験をしたことを覚えている。
洋服ダンスは、6畳間の壁に沿っている一対の長いもの。
中には洋服がぎっしり詰まっていた。
あんな重いタンスを立ち上げる力は三人にはないのに、
「行くぞ!!」私の掛け声に一気に立ち上がった。
それは「火事場のばか力」だったのである。


この体験が、今朝見た悪夢の原因だったのかも知れない。


避難所の体育館は、近くの人たちの先着順ですから、
離れて住んでいる住民は入れない。
1月17日から脱出するまでの数日間、
自宅で絶え間なく続く激しい余震に堪えていた。


水やガスがない生活、食べ物は菓子類だけ。
喉が渇いているのに水が欲しくない、
空腹なのに食欲が湧かない、
三日も睡眠をろくにとっていないのに眠れない。


人間の根源的な欲求は生理的な欲求だと思っていたが、
それは間違いであることを思い知らされた。


生理的欲求の前に、人間にはもっと深い欲求がある。
大天災という自然の力に伏した者だけが知ることができる強い欲求である。


それは「死にたくない!!」
「生きたい!!」と渇望するココロ。
生き物に共通する根源的な「生命安全の欲求」である。
すなわち、生理的な欲求は「生きていくための欲求」であり、
生命安全の欲求は「生きる欲求」そのものである。
この二つの欲求は、本質的に次元の違うココロ。


16年経っても、今なおココロとカラダの奥深くに、
その恐怖感を覚えているのである。
私の人生観を変えたのはこの震災体験である。
今日は6,434人の鎮魂の日である。